2018/05/24
22:57:47
まぁ、飽きもせず4年の間に同じことで何度も喧嘩してきて、毎回、毎回、毎回!!!
「もう一度チャンスを。。。。」といわれ、あぁ~またか。。と繰り返すこと。
「もう一度チャンスを。。。。」といったところで、1度あるものは、2度も3度もあるわけで。。
だから今回こそは身にしみた!ということを言われても、すでに「羊飼いの少年」状態。。。
これはお互い様で、私も「もう瑞とは会わない!」とか「連絡しない!」とか言うけれど、最終的に許すと思われてることが「羊飼いの少年」
ただのバカだなとさえ感じる。
「愛情」って難しいね。
やはり育った環境とか、蓄積してきた人格形成の思春期の間に、なにを見て、なにを学び、なにに心を動かされてきたか、というところに、その愛情の質がそれぞれ違って備わっていくんだなとも思う。
私は幼い頃から厳しい家庭環境に育ってきて、今では警察沙汰になりそうなくらい、ぶっとばされて育った。学生時代はスパルタスポーツの世界で仲間たちと励ましあって勝つことに夢中になる時間を送ってきたので、バリバリの体育会系。
瑞は、運動大嫌いで、帰宅部。親に1度も怒られたことがない、お嬢様育ち。
なにか自分からしなきゃ作り上げることができず、考えて行動しなくてはなにも生まれない中にいた私に比べ、瑞は、周りがすべてお膳立てしてくれてそこに乗るだけで進んでいた。
人って、うまくできていて、リーダーシップ型で人を引っ張る役につく人と、敷かれたレールの上をただついていけばいいだけの人。双方居なきゃ世の中成り立たないから仕方がない。
ひとを本当に愛するということは、言ってしまえば無償に同じくで、見返りを求めてしまうようでは、まだまだ本来の芯の愛とは言えないというけれど。。。
そこを突かれたら、なにも言い返せないし、私もまだまだなんだってことはわかってる。
けれど、100%私が与える側で、瑞がお姫様のようにニコニコしているだけで恋愛関係は育めるものではない。ふたりで育むことができたその向こうには、無償の愛というものが生まれるのだろうとは思う。けれど、自己中すぎて、、、とにかく自分が不安だったり不愉快だったり、つまらなかったりするときは、「機嫌悪いです!」という言動でわがまま放題。
まぁ、別にそれは正直にそういう態度でいいけれど、自分のときだけは気がつけ!といわんばかりなのに対して、私のSOSはスルー。
「私はなにも悪くないもん。私がなにかしたわけじゃない、勝手に不機嫌になってるだけだもん。私のせいじゃない。しらないもん」
こういうのが、とっても冷たいなと思う。
でも、そのあと、必死で「なにがいけなかったか、もうわかったから!」といってたけど、わかるわけないじゃん。。。。。。。。こういうのって、感覚の話なんだもん。
人に言われて気がつくようなの、本物じゃないから喉元過ぎれば熱さを忘れるに決まってる。
あんまり繰り返されると、もう何言っても期待しなくなるものですね。。。。
どうなるのかな?って他人事のように眺めているとしょう。。。
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