2016/10/30
22:57:30
私が瑞に出会って確信したのは、「出会いというのは、白紙になってこそ、次は始まる」ということ。
ぶっちゃけ、瑞に出会う数か月前、私は2年関わった女性と、縁を切った。
私は自分自身の幸せについて常に貪欲で、まずは自分自身が幸せだと感じない限り、相手も幸せだなんて思わないだろうという思考。2年関わった女性は、私と一緒にいても幸せな風には見えなかった。同じように、私も窮屈で面倒臭くて、なんでこんなに笑えない、つまらない関係にピリオドを打てないんだろうとイライラしていた。
しかし、貪欲な私は、もう自分自身の幸せを考えて前に進もうと決め、相手に強引に別れる方向に持って行こうとした。
けれど、相手も同じように、このまま一緒にいても幸せだとは感じないと思っていたのだろう。
別れはあっさり来た。なんだ・・・・こんなにあっさりならば、もっと早く終止符を打てばよかったな。
結局、何も引きずることはなく、きれいさっぱりと、次の出会いを探す気持ちにもなれたし、重い鎧がはずれて意気揚々だった。
振り返れば、その2年関わった女性との交際中、私は別の出会いが訪れれば、相手もあっさり身を引くだろうと、新たな出会いを求めたのだけど、全部失敗に終わった。
自分の過去を分析してみると、やはり、1つの関係には自分に与えられた任務があり、それを全うできずに終わらせることはできないのだろう。きちんと誠実に関わり、すべての任務を終了させることで、関係を終わらせることができる。
精一杯関わり、そしてその関係が終わると、「もう恋なんていらないな」とか、「もう出会いなんかない」と諦め半分、心の転換も難しいとさえ思いがちだけれど、全然そんなことはない。
古いかかわりをしっかり綺麗にけじめをつければ、必ず、次のさらにいい出会いはやってくる。
出会いはタイミング。
瑞との出会いを思えば、これは私がちゃんと先に進める段取りが完了することを、瑞は待っていてくれたのかもしれない。
もしくは、瑞自身の課題もあり、そこを超えて、私との出会いは確約されていたのかもしれない。
人と人は、出会うべくして出会っているし、別れるべくして、別れている。
人と人は潜在意識でもって引き寄せている。
いつまでも関わっていても仕方がないとわかっていても、いつまでも離れないのは、潜在意識が奥底にあって、その意識が離れないようにしてきていただけ。この思考の癖ともいえる、潜在意識が変わっていくから、いつまでも無駄なかかわりはやめようという意識が生まれ、離れることに躊躇することはなくなる。
もっと幸せな交際ができる相手と出会いたい。
そして、新たな潜在意識が生まれ、宿り。よい相手と出会える。
つまり、以前の関わりから、潜在意識が消えてなくなることが、白紙となり、次の出会いを呼び寄せる。
当時よく使っていた物を捨てたり、もちろん、関わった人からもらったものなんてものがあれば、それもお礼をして処分したり。
目につくことがないように、きれいさっぱりすることができたら、きっと新しい出会いはやってくる。
こんな歳だし・・・・・とか、こんなスタイルだし。。。とか、まったく関係なし。
鎧を脱げたら、新しい時代は始まるのだ。
いかに、古い鎧を脱げるか?ここに、次の出会いと、新たな自分へのステップがある。
私はそう感じている。
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